用語の註釈

前のページには、聞きなれない用語が数多いので、註釈をつけました。


【(府県)警察部】
戦前の警察制度は、内務大臣が全国の警察を掌握し、内務省警保局が警察行政を司っていた。各府県(東京を除く)においては、内務官僚である知事が内務大臣の指揮を受けて、府県警察部が警察業務をとるという形をとった。ただし東京の場合は、東京府ではなく内務省直轄の警視庁が警察業務をとっていた。

【鉄道公安官】
終戦直後から急激に悪化した国鉄内の治安を守るために、1947年設置の司法警察権を持つ国鉄職員のこと。鉄道公安官を統括するために、国鉄本社には「公安本部」を設け、現場の機構として「鉄道公安室」「鉄道公安分室」を設けた。1987年4月の国鉄分割民営化によって、鉄道公安官制度も廃止になり、各都道府県警察の「鉄道警察隊」に改組された。

かつての鉄道公安官の写真
日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年 より引用

【在日朝鮮人連盟(朝連)】
1945年10月15日に結成された組織。当初は生活安定や帰国の便宜を図るのを目的とした社会福祉団体であったが、同年10月10日の政治犯釈放により、出獄した日本共産党幹部の金天海(本名:金鶴儀)が実権を握ったことで、急速に左傾化し始めた。組織的不法行為を頻発させたため、1949年9月8日、朝連は暴力主義的団体として「団体等規正令」に基き解散を命ぜられた。

【青年自治隊・青年行動隊】
朝連による私的武装集団のこと。逮捕・監禁・人民裁判など数々の警察権力類似行為を行った。これらの名前の他にも「保安隊」「自衛隊」「警備隊」を名乗っていた。

【(都道府県)軍政部】
都道府県等の自治体を監視するために設けられたGHQの地方組織で、中佐クラスの部長以下3〜40人の人員がいた。

【警防団】
当初、市町村ごとに「消防組」が設置されていて、消火活動にあたっていたが、戦時体制に伴い、防空業務を行っていた「防護団」と統合し「警防団」に改組された。1947年に「消防団」となった。

【軍事裁判】
GHQが独自に設けた裁判制度で、主に連合国民の刑事裁判を担当していたが、占領政策に違反したり、GHQの要員に対する犯罪などは、国籍に関係なくこの裁判にかけることができた。
重罪を裁く「軍事委員会(Military Commissions)」、中程度の犯罪を裁く「一般憲兵裁判所(General Provost Court)」、微罪を裁く「特別憲兵裁判所(Special Provost Court)」の3種類の裁判所があった。

【市警察・大阪警視庁・国家地方警察】
1948年制定の旧警察法では、警察組織は人口5000人以上の市町村に設けられる「自治体警察」と、それ以外の区域を担当する「国家地方警察」の二本立ての制度であった。ちなみに大阪市の警察は「大阪警視庁」と呼ばれた。
1954年、現行警察法が制定され、都道府県警察に一本化された。

【非常事態宣言】
GHQが発する「非常事態宣言」には、「小規模非常事態(Minor Emergency)」「限定付非常事態(Limited Emergency)」「大規模非常事態(Major Emergency)」の3種類があり、神戸で発せられたのは、「限定付非常事態」である。これにより、神戸では占領軍による直接軍政が確立され、対象区域の警察は占領軍司令官の指揮下に入った。

【在日本朝鮮民主青年同盟(民青)】
1946年1月頃から朝連では「保安隊」または「自治隊」と称する武装集団を結成して、暴力行為をほしいままにした。
GHQは同年2月9日に「刑事裁判権の行使に関する件」の覚書を発し、在日朝鮮人は日本の刑事裁判権に服すべきことを指令したが従わなかったため、ついに4月24日にこれらの武装集団の解散を命じた。
朝連ではこれに対抗するために、共産主義闘争を目的とする新たな組織を設けることになり、1947年3月6日に結成された。1949年9月8日、朝連とともに団体等規正令によって解散させられた。

【経済調査官】
経済統制法令違反の調査や隠退蔵物資の調査を行うため、1948年に設けられた公務員。経済調査官が所属する「中央経済調査庁」は統制経済を円滑に進めるために様々な監査・調査を行い、全国八管区に「管区経済調査庁」、都道府県に「地方経済調査庁」を持つ巨大な組織であった。1952年に廃止された。

【在日本大韓民国居留民団(民団)】
朝連から追い出された無政府主義者や民族主義者たちによって、1946年10月3日に結成された。当時の名称は「在日朝鮮居留民団」で、1948年の大韓民国の成立とともに「在日本大韓民国居留民団」に改称した(1994年に「在日本大韓民国民団」に改称)。
組織の性格上、左翼系の朝連とは常に対立状態で、両者の間で流血の惨事を引き起こしていた。

【法務府】
戦前、司法行政は「司法省」が管轄していたが、GHQの指令により、1948年に(内閣)法制局と一緒に「法務庁」となり、翌年「法務府」と改称された。法務府の長は「法務総裁」で、団体等規正令に基づく業務を担当していたのは「刑政長官」部門の「特別審査局(後の公安調査庁)」であった。1952年、法制部門は分離され内閣に戻り、残りの部門は「法務省」となった。

【団体等規正令(昭和24年政令第64号)】
連合国の占領政策を遂行するために設けられた政令で、「秘密的、軍国主義的、極端な国家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な団体」を取り締まる目的で制定された。後の「破壊活動防止法」の前身である。

【占領目的阻害行為処罰令(昭和25年政令第325号)】
連合国の占領政策の妨害を処罰するために制定された政令である。違反すると「十年以下の懲役若しくは二十万円以下の罰金」に処せられた。当法令などGHQの指示に基づいて出された法令は、「ポツダム勅令(現憲法施行後はポツダム政令)」と呼ばれ、憲法の制約を受けなかった。

【東京都立朝鮮人中高等学校】
朝連の解散により、朝鮮人学校も閉鎖されることになったが、閉鎖反対運動が激しかったため、幾つかの学校は、暫定的に公立学校として存続することになった。東京都では、「朝鮮人学校取扱要項」を制定して、「東京都立朝鮮人中高等学校」として存続することになった。1955年都立朝鮮人学校は廃止され、学校法人「東京朝鮮学園」運営の「東京朝鮮中高級学校」として再スタートした。

【三・一事件】
1919年3月1日に朝鮮独立を求めて勃発した騒乱事件のこと。デモの際に「マンセー(朝鮮語で「万歳」の意味)」と叫んだことから、別名「万歳事件」ともいう。

【人民広場】
皇居二重橋前の広場のこと。戦前は「宮城前広場」と呼ばれ、戦後は「皇居前広場」と呼ばれるようになったが、左翼が「天皇制反対」の意志を込めて、勝手に名付けた呼称。1953年以降、メーデー会場が明治神宮外苑などに移ったため、この呼称も廃れた。

現在の二重橋前の写真

【在日朝鮮統一民主戦線(民戦)】
朝連の解散後、旧組織の復活を模索していたが、1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発によって急速に全国組織結成の機運が盛り上がり、1951年1月9日に結成された。1955年5月26日、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の結成により発展的解消をした。

【祖国防衛隊(祖防隊)】
民青の解散後、青年組織は分散し、各自ばらばらな行動をとっていた。朝鮮戦争の勃発によって統一組織の必要性が高まり、1950年7月に「祖国防衛委員会(祖防委)」が秘密裏に結成され、青年組織は「祖国防衛隊(祖防隊)」に再編成された。

【大村収容所】 
不法入国をした外国人を強制送還するための収容施設である。かつては、朝鮮半島の密入国者を多く収容していた。現在は「大村入国管理センター」に名を改め、主にパスポート不所持の密入国者を多く収容している。

【在日朝鮮人解放救援会(解救)】
1946年12月20日の「首相官邸デモ事件」がきっかけで結成された組織で、朝連の闘争当事者の救援を行った。しかしながら活動範囲が狭かったため、活動が停滞気味であった。
ところが、朝連と民青が解散させられたため、合法団体であるこの組織が俄然注目を浴び、朝連の代役としての役割を果たした。

【中核自衛隊】
非合法軍事路線をとった日本共産党が、都市ゲリラ組織として設けた非合法武装組織のこと。農村ゲリラ組織の「山村工作隊」と合わせて、最盛期には全国で約500隊、1万人近くの武装組織を擁した。
なお、わが国の国防組織である「自衛隊」とは全く関係ないことはいうまでもない。

 

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