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3月における騒乱の概要

朝鮮憲兵隊司令部編「朝鮮三・一独立騒擾事件」の記述を口語に訳す。

京畿道京城府・高陽郡

独立宣言書の署名者の中で、そのとき京城にいた24〜5名が、2月28日の夜、京城府斉洞の孫秉熙宅で会合を開き、ついに明日3月1日午後2時に京城パコダ公園で独立宣言をすることを申し合わせた。
そして、学生のとるべき行動については、専門学校の場合は各校内で宣言書を受け取り、中学程度の各学校生徒の場合は各学校の代表者が貞洞教会に集合し普成専門学校生徒である康基徳から宣言書を受け取り、明日3月1日午後2時にパコダ公園で独立宣言をすることに決定したので、そのことを各生徒に伝えて同時刻に集合すること、デモについては、自分の意見を主張するのが目的なので、くれぐれも暴力的な行動は慎むようにと注意して解散した。女学校生徒については、朴熙道、金昌俊等から3月1日のデモに参加するようにと扇動した。
昨夜2月28日より、何万もの学生が熱狂し殺気を帯びるなど不穏な空気が流れ始めており、そのままパコダ公園で独立宣言をすると青年や学生が血気に逸り、暴徒化する可能性があるので、首謀者は当日朝になって急遽、予定を変更して、仁寺洞の朝鮮料理店「明月舘」支店で独立宣言の祝杯をあげることとなり、当日来られなくなった吉善宙ら3名を除く29名が同舘に集まったので、警察は全員逮捕した。
3月1日午後2時前後になると、3000〜4000名の学生が予定通り鐘路のパコダ公園に集まり、独立宣言書を朗読後、一斉に「万歳(マンセー)」と叫び、鐘路通を西に向かってデモ行進をし始めると、見ていた群衆もデモに参加して、数万人にも膨れ上がった。その後、いくつかの隊に分かれて、徳寿宮大漢門前や各国領事館前に到着すると、 「万歳(マンセー)」を高唱し、独立運動を鼓舞する演説をした。また、京城府内をデモ行進したので、李太王の国葬の儀を見物するために集まった数十万人もの人々と鉢合わせになり、異常な混雑振りとなった。そのため総督は龍山より歩兵3個中隊を京城に派遣し、憲兵や警察官の援助をしたので、午後7時になって漸く沈静化した。その間、「独立新聞」「国民新聞」「労働新聞」といった不穏文書を配布して学生や市民を扇動したり、デモに参加しない人を脅迫したりした。
3月4日になって、やや沈静化したので警備の歩兵部隊を2個中隊に減らしたが、5日になって再び不穏な空気が流れ始めたので、5日未明に1個中隊を大漢門付近に派遣したところ、朝になって学生を中心とする4 000〜5000人の群衆が南大門駅前広場で騒乱状態になったので、憲兵や警察官は軍隊と協力して鎮圧した。夕方になり平静になったので、歩兵1個中隊を現地に残して撤退した。その後 京城府や近隣の高陽郡で小集団が度々騒乱を企てようとしたが、大事には至らなかった。
3月9日朝になると、鐘路方面の朝鮮人店舗の大部分が、不穏分子による脅迫と学生デモに対する共感から閉店し、翌日10日午前10時には大規模なデモを開くという情報が入ったので、陸軍第40旅団より大隊長が指揮する歩兵3個中隊と騎兵2個小隊を京城に派遣して、憲兵や警察官を助けて厳重警戒を行ったので何事も起こらなかったので、12日には3個中隊を残して他の部隊は引き揚げ、府内は表面上平静さを取り戻した。
22日以降になると、京城府や近隣の高陽郡の20数ヶ所で騒乱が勃発したが、従来の平和的デモ行進とは違って暴力的になり、23日以降4日間の京城とその付近は、夜間になると路面電車に投石して乗客を下車させたりした。26日夜には、京城府内の臥龍洞、斉洞、安国洞にある交番を襲い、27日夜には約100名もの暴徒が再び斉洞の交番を襲い、投石して窓ガラスを破壊し、警察官の制止を振り切って抵抗したため、暴徒2名が鎮圧時に死亡した。
そのため、3月28日に歩兵3個中隊を増派し、6個中隊を京城府内に配置し厳戒態勢をとった。
また高陽郡纛島では、26日夜に約500名の暴徒が面事務所を襲い雨戸を破壊し、面書記を殴打して負傷させるなどの暴挙を行い、制止に応じなかったため止む無く発砲し、憲兵・暴徒双方に死傷者を出すなど危険な状態になったため、京城より歩兵6個中隊を派遣して警戒にあたったため、27日以降は平静さを取りもどした。
しかしながら、民心はしだいに悪化していった。金允植子爵中枢院顧問経学院大提学)と李容植子爵中枢院顧問経学院副提学)は、26日に総理大臣に独立請願書を提出するために元郡守の李建台を東京に派遣し、28日には朝鮮総督に対し同内容の独立請願書を提出するなどしたため、貴族や儒学者の長老はこれに同調するような雰囲気が生じた。
また、京城府内の各私立学校の中には3月1日以来、月末になっても生徒の欠席が多いので開校に至ってないところがある。なお、各学校とも新入学生は極めて少数である。

京畿道郡部(高陽郡を除く)

郡部では、3月3日に開城において、キリスト教南メソジスト派経営のホーストン女学校生徒が主体となってデモを開始し、翌日には同派経営の松都高等普通学生徒が主体となってデモを開始し、5日と6日の両日には群衆がこれに参加して暴徒化し、巡査以下4名を負傷させ、暴徒側には1名の死者を出し、7日に沈静化した。これは京畿道における騒乱の始まりである。
仁川では、6日から9日の4日間に公立普通学・公立商業学校生徒が騒乱を企て、また小集団のデモがあったが、特に問題なく解散した。その間、扇動や脅迫的印刷物配布のため、3月29日以降閉店した商店が170戸あまりあったが、警察署の説得により次第に開店するようになった。
その他の各地では、10日前後より次第に不穏な空気が流れ始め暴動が企てられたが、18日に楊平郡麻石隅里において、銃器を持って暴徒を退散させた他は、いずれも大事には至らなかった。
21日以降は、驪州郡を除く全ての郡80ヶ所で騒乱が勃発した。憲兵・警察関係機関、郵便局、面事務所を襲って、内地人の民家に放火する場合が少なくなかった。そのうち、武器を使用した鎮圧で暴徒側に死傷者を出した地域として、楊平郡麻石隅里、楊州郡長興面、抱川郡新北面、漣川郡百鶴面、富川郡場基里、広州郡上一里、坡州郡奉日川、交河、龍仁郡龍仁、水枝面、沙岩里、利川郡麻長面の12ヶ所が挙げられる。
水原郡沙江里においては、巡査部長1名が暴徒に取り囲まれ、悲壮な最期を遂げた。最も騒乱が激しかったところは水原郡烏山、安城郡陽城の2ヶ所で、烏山では29日に約800名の暴徒が交番、郵便局、面事務所を襲いドア、窓ガラス、電話機を破壊し、さらに内地人住居11戸のドアを全て破壊し、陽城では31日夜に約2 000名の暴徒が蜂起し、交番に放火し全焼させ、さらに郵便局と面事務所を襲い、書類や器物を全部破壊し、また内地人住居2戸の家具や商品を全部戸外に持ち出して焼き、電柱2本をなぎ倒して焼くなど横暴の限りを尽くした。

忠清北道

清州郡清州において、2日に多数の独立宣言書を発見し、10日夜になると同地の公立農学校生徒がストライキを企てた。これが本道における騒乱の始めである。
その後、同郡米院、槐山郡槐山、清塘、沃川郡伊院、永同郡鋤山の5ヶ所で騒乱が勃発した。特に、米院、伊院、清塘では暴徒が制止に応ぜず頑強に抵抗したため、銃を発砲して解散させた。その際、暴徒側に少数の死傷者が出た。
同道10郡中、3月中に騒乱が発生したのは以上の4郡である。

忠清南道

6日扶余郡林川邑において、7名の天道教徒は、同地の憲兵駐在所に出頭し、「京城は既に独立した。だから我々にも独立を与えよ。」と申し出た。これが本道における運動開始の端緒であった。
10日になると論山郡江景において騒乱が勃発し、続いて扶余、天安、礼山、公州、大田、牙山、燕岐、舒川の8郡20余ヶ所で騒乱が発生したが、その中でも天安郡良垈では28日に約200名の暴徒が同地の憲兵駐在所を襲って銃器を奪取しようとし、また電線を切断するなど横暴の限りを尽くし、また舒川郡舒川では29日に約2 000名の暴徒が棍棒等の凶器を携え、同地の警察署を襲って、器具や窓ガラスを破壊するなどしたため、両地区とも銃器を使用して鎮圧した。この騒乱において、巡査3名が負傷し、暴徒側に数名の死傷者を出した。
保寧、洪城、青陽、瑞山、唐津の5郡は3月中には騒乱は発生しなかった。

全羅北道

3日、全州郡全州及び益山郡裡里において、独立宣言書が街路にばら撒かれているのを発見し、5日になると群山府で、キリスト教南長老派経営の学校教師や生徒、またその信徒ら約100名がデモをし、12日に全州、21日に任実郡芳渓里、23日同郡熬樹の1府2郡4ヶ所において運動を企てたが、熬樹で暴徒が警察官駐在所や面事務所に押しかけて暴行した他は、いずれも大事には至らずに解散し、他の12郡は3月中には騒乱は発生しなかった。

全羅南道

2日、順天郡順天で独立宣言書を発見し、10〜13日に光州郡光州でキリスト教南長老派経営の崇一学校生徒とその他キリスト教徒を中心とする一団の群衆がデモ行進を開始し、14・15日の両日は霊光郡霊光、18日は潭陽郡潭陽、20日務安郡務安、21・22日の両日は済州島の1島4郡5ヶ所において9回にわたってデモを行ったが、済州島朝天で22日に暴徒の一団が被告人を奪還しようとしたので威嚇発砲した例を除き、いずれも大事には至らず沈静化し、他の1府17郡においては3月中の騒乱は発生しなかった。

慶尚北道

8日、大邱府においてキリスト教北長老派経営の啓聖学校及び信明女学校、そして官立高等普通学校の生徒がデモを開始し、群集もこれに参加し市街地を練り歩いた。これが本道における騒乱の始まりである。
その後、同府では10日と30日の2回にわたって騒乱を企てたが間もなく解散した。しかし31日になると不穏分子の扇動と脅迫により、市街地の朝鮮人店舗は閉店するに至った。
そして郡部においては、11日以降、金泉、迎日、義城、慶州、漆谷、安東、盈徳、奉化、尚州、英陽、青松の11郡20余ヶ所で騒乱が勃発(内3ヶ所は未然に防止)した。特に安東、盈徳の両郡内及び義州郡桃里、青松郡和睦においては、暴徒が横暴の限りを尽くし、頑強に抵抗したので、武器を使用して鎮圧し、暴徒側に死傷者を出し、憲兵警察側にも負傷者を出した。その中でも安東郡では17〜22日の6日間、安東郡庁、安東地方法院支庁
、安東警察署、そして泉旨、永安の各警察官駐在所を襲って投石暴行し、また鞭巷、新徳の両駐在所を破壊した。盈徳郡においては、18・19日の両日に盈徳、寧海、ネ谷、蒼水の各地に暴徒が蜂起し、警察官駐在所、学校、面事務所に損害を与えた。他の1島9郡については3月中の騒乱はなかった。

慶尚南道

3日、釜山府及び馬山府の両地において、独立宣言書を発見した。11日になり釜山鎮で同地のオーストラリア長老派経営の日新女学校生徒が女性教師の扇動によりデモを開始した。これが本道における騒乱の始まりである。
その後、馬山府、密陽、東莱、昌寧、統営、宜寧、陜川、晋州、咸安、河東、山清、居昌、梁山、咸陽の1府13郡20余ヶ所で騒乱が発生し、その中でも咸安郡咸安では19日に警察官駐在所、郡庁、郵便局、登記所、学校の建物や器物を破壊し、また東莱郡亀浦、陜川郡三嘉、柏山、陜川、草渓、咸安郡郡北、山清郡丹城、居昌郡居昌の各地においては、駐在所、面事務所、郵便局を破壊し、制止にも応じず、横暴の限りを尽くしたため、発砲して解散させた。応援の歩兵及び憲兵警察官側に少数の負傷者を出し、暴徒側にも死傷者を出した。
蔚山、金海、昌原、固城、泗川、南海の6郡については3月中の騒乱はなかった。

黄海道

1日に黄州、沙里院、瑞興、延白、遂安及び瓮津郡内において、キリスト教徒及び天道教徒によって独立宣言書を配布していた事実が発覚し、2日には天道教徒を主とする約300名の暴徒が黄州警察署を襲って暴行を働いた。これが本道における騒乱の始まりである。
その後、黄州、鳳山、延白、遂安、谷山、海州、載寧、安岳、信川、殷栗、松禾、長淵、金川の13郡30余ヶ所で騒乱が勃発し、その中でも遂安では3日、天道教徒の一団約50〜150名が「憲兵分隊と郡庁を引き渡せ」と3回にわたり喚声を挙げて、分隊構内に殺到し暴行を働き、また延白郡延安、白川、載寧郡載寧、内宗里、安岳郡温井洞、信川郡信川、松禾郡松禾の各地では憲兵関連施設に来襲し、制止に応ぜず、横暴の限りを尽くしたため、発砲して解散させた。憲兵警察官側に少数の負傷者を出し、暴徒側にも若干名の死傷者を出した。
3月中に騒乱が発生しなかったのは平山、新渓、瓮津、瑞興の4郡である。

平安南道

本道においては1日に平壌、鎮南浦、安州で騒乱が勃発し、その後12郡約30ヶ所で騒乱があったが、その騒乱のほとんどは1〜10日の間に起こり、10日以後は23日以降において安州郡立石外3ヶ所で騒乱があっただけである。このように短期間で各地に騒乱が勃発したのは、本道はキリスト教や天道教の教勢が最も盛んなところで、今回の事件に多数の首謀者を出した関係上、予め各地と密接な連絡を保っていた結果に他ならない。
平壌においては、1日午後1時よりキリスト教メソジスト派と長老派の信徒は李太王の奉悼会を開くと称して、前者は教会に約800名、後者は学校に約 1000名が集合し、弔意を表した後、突然独立宣言書を朗読し、続いて不穏な演説をした。式終了後、デモ行進を開始し、同日夕方になると多数の暴徒が警察署に殺到して投石暴行し、以来連日騒乱を企てたが、軍隊の出動と憲兵警察官の警戒により5日以降は表面上は沈静化した。しかし民心はますます険悪になり、4日以降朝鮮人の商店の過半が閉店し、各私立学校は全部休校し、官立学校も約半数が欠席した。中でも、キリスト教教団経営の各学校はほとんど全員、官立高等普通学校生徒の大半は郷里に帰還してしまった。この内少数の者は、各地に潜行して騒乱を扇動する状況にある。
道内各地で騒乱が最も激しかったのは、安州郡安州、中和郡祥原、江西郡江西、咸従、龍岡郡温井、成川郡成川、陽徳郡陽徳、孟山郡孟山、寧辺郡寧遠の各地で、いずれも兵器を使用しての騒乱鎮圧で双方に若干の死傷者を出したが、中でも成川では4日午前10時頃に各役所や一般家庭に独立宣言書を配布し、間もなく約200名の暴徒が棍棒、鎌、斧を持って憲兵分隊に来襲し、窓ガラスやその他の器具を破壊するなどの暴行を働いたので、銃を発砲して解散させたが、この騒乱で分隊長は重傷を負い、同日午後になって遂に落命した。暴徒側も60余名の死傷者を出した。孟山では、10日午後に約200名の天道教徒の一団が同地の憲兵分遣所を襲撃し、上等兵1名を即死させ、補助員1名にも重傷を負わせた。暴徒側にも50余名の死者と若干名の負傷者を出した。沙川では、4日に数百名の暴徒が同地の憲兵駐在所に来襲したので、極力鎮圧に努めたが、弾薬を使い果たし上等兵以下4名は壮烈なる最期を遂げた。暴徒側にも死者12名、負傷者若干名を出した。
3月中に騒乱が発生しなかったのは价川の1郡だけである。

平安北道

1日、宣川においてキリスト教北長老派経営の信聖学校生徒数百名が市街地でデモ行進をし、義州では300名のキリスト教徒が教会に集合して騒乱を企てたので解散を命じた。これが本道における騒乱の始まりである。
その後、宣川では3日午後になって「国葬遥拝式」と称してキリスト教徒は北教会に、天道教徒は教会に集合した後、合流して約1500名の集団となって各官公庁に押し寄せ、4日は約6000名の群衆がデモ行進を開始し、連日混乱を極めたが、軍隊の来援と警察の警戒により、群衆に数名の負傷者を出すに止まり大事には至らず、表面上は平穏さを取りもどした。また義州では1日以来、何回か騒乱が企てられたが、いずれも大事には至らず、5日には沈静化したが、27日になって約3000名の暴徒が投石暴行し、再び険悪化した。
その他、本道における騒乱発生地は10郡約30ヶ所で、その中でも、義州郡広坪、水江鎮、玉口鎮、龍川郡南市、永山、鉄山郡鉄山、朔州郡朔州、亀城郡新市、亀城、定州郡定州の各地においては、暴徒が横暴の限りを尽くしたので銃を発砲して鎮圧した。その際に我々(引用者注:憲兵警察官側)に少数の負傷者を出し、暴徒側に若干の死傷者を出した。
3月中に、騒乱が勃発しなかったのは新義州、泰川、雲山、凞川、博川、碧潼、渭原、江界、慈城、厚昌の1府9郡で、騒乱勃発郡と未勃発郡とは相半ばし、各地に拡散するには至っていないが、最近鴨緑江対岸の中国領における排日朝鮮人が騒乱に介入する可能性がある状況なので、今後も注意を要する。

江原道

2日に平康郡平康、3日に金化郡金化、金城、その他4ヶ所で独立宣言書が発見された。10日になって鉄原郡鉄原で騒乱が勃発し、続いて同郡葛末面、華川郡華川、上西面、横城郡横城、金化郡昌道の4郡7ヶ所で騒乱があった。中でも華川郡上西面では28日に約2000名の暴徒が同面の面事務所を襲い、面長とその補助員を傷つけ、面書記3名を拉致し、さらに華川邑内に来襲しようとしたので発砲鎮圧し、また金城郡昌道では、28・29日の両日に多数の暴徒が蜂起し、憲兵駐在所と面事務所を襲い、窓ガラスを破壊するなどの暴挙に出たので、発砲解散させた。両地区とも暴徒側に若干の死傷者を出した。他の16郡は3月中の騒乱はなかった。

咸鏡南道

1日、元山において、キリスト教牧師である郭明理という者が独立宣言書を配布し、午後4時になると約2500名の群衆がデモ行進を開始し、一時混乱を極めたが2日になって沈静化した。咸興では3日に、キリスト教カナダ長老派経営の永生学校生徒が中心となって、高等普通学校、公立普通学校生徒、その他の群衆が参加してデモ行進を開始し、それ以来連日のように騒乱があった。双方ともに若干の負傷者を出したが、軍隊の出動と憲兵と警察の警戒により、8日に沈静化した。
その他、3月中に騒乱が勃発したのは11郡約30ヶ所で、定平郡新南上里宣徳場、利原郡利原、端川郡端川、大新里、長津郡古土里、洪原郡手浦、新興郡新興では、憲兵・警察関係機関に来襲して庁舎を破壊し、制止に応じず暴行したため、発砲鎮圧した。中でも古土里では、約200名の暴徒が憲兵駐在所に来襲し、発砲鎮圧しようとしたが、衆寡敵せず、遂に構内に侵入し、憲兵軍曹と当時中にいた事務員に殴打負傷させ、兵器、書類、器具等を悉く破壊焼却した。以上各地の騒乱において我々(引用者注:憲兵警察官側)に少数の負傷者を出し、暴徒側に若干の死傷者を出した。
3月中、文川、徳源、安辺、甲山の4郡では騒乱が発生しなかった。

咸鏡南道

7日、咸鏡南道キリスト教教会より城津カナダ長老派教会宛に独立宣言書を郵送し、10日には城津カナダ長老派経営の普信学校生徒約250名がデモ行進を開始し、警戒の警察官に対して瓦礫を投石した。11日には長老派経営の済東病院に約700名の教徒が集合し、同日10時頃に市街地に繰り出し内地人を殴打するなどの横暴の限りを尽くしたので、発砲鎮圧した。これが本道における騒乱の始まりである。
その後、同郡内及び吉州、明川、鏡城、会寧、清津の1府4郡約20ヶ所で騒乱が勃発し、明川郡花台では14日と15日の2回にわたって約5000名の暴徒が憲兵分遣所と面事務所を襲い、面長を殴打し、15日夜には面事務所と面長宅に放火した。同郡雩社場では17日に約700名の暴徒が警察官駐在所に来襲して暴行したため、両地区とも発砲鎮圧した。我々(引用者注:憲兵警察官側)に少数の負傷者を出し、暴徒側に若干の死傷者を出した。
他の6郡は3月中の騒乱はなかった。

 

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